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こんにちは😄
ascot(@アスコット2022)です😄
「法隆寺夢殿の救世観音像の光背は、聖徳太子の怨霊を封じるため、
後頭部に打ち込まれた太い釘によって、取り付けられている。」
そんな話を聞いたことありませんか?
そもそも、救世観音像って普通の観音像と何が違うの?など
思ったりしますよね。
都市伝説や怖い話など大好物な私は、ざっくり調べてみました!
■法隆寺とは?
法隆寺と言ったら、正岡子規の俳句「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」ですね。
この法隆寺は、奈良県にある聖徳宗の総本山の寺院で、本尊は、釈迦如来になります。
『日本書紀』によれば、聖徳太子こと厩戸皇子(用明天皇の皇子)は推古9年(601年)、飛鳥からこの地に移ることを決意し、宮室(斑鳩宮)の建造に着手、推古天皇13年(605年)に斑鳩宮に移り住んだという。法隆寺の東院の所在地が斑鳩宮の故地である。この斑鳩宮に接して建立されたのが斑鳩寺、すなわち法隆寺であった。(引用:Wikipedia)
■救世観音像とは?
救世観音像(くぜかんのんぞう・くせかんのんぞう)は、
「救世観音菩薩立像」と言われている観音様です。
この「救世(くぜ・くせ)」はの意味としては、「人々を世の苦しみから救うこと」のことです。
また、平安時代の法華経信仰から広まった名称とも言われています。
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■誰も拝むことができない神仏
日本に仏教が伝来してから1400年の間、法隆寺には少しずつ増えていき、
650体の仏像があるそうです。(諸説あり)
739(天平11)年に「八角堂の夢殿」に納められた救世観音は、
造仏推定年代は629-654年?とのことです。
この救世観音は、長い間、誰も拝むことができない神仏とされていました。
実際、江戸時代の頃の約200年もの間、「法隆寺の僧侶すら拝むことができなかった」と
言われています。
その理由も、明かになっていません。
▶︎法隆寺にある観音像
この法隆寺には、推古天皇の摂政だった聖徳太子(574年-622年)が、
607年に建立したとされる「西院伽藍」と
739年に聖徳太子の住居跡に建立された「東院伽藍」などがあります。
また、法隆寺の境内には、
- 金堂(釈迦さん尊像・薬師如来像・阿弥陀三尊像・吉祥天・四天王像・天蓋飛天)
- 五重塔(塔本塑像)
- 大講堂(薬師三尊像)
- 大宝蔵院(観音菩薩像(夢違観音)・地蔵菩薩像・百済観音像など)
- 聖霊院、東室(聖徳太子像)
- 夢殿(救世観音像)
- 西円堂(薬師如来像)
などが、各所に祀られています。
■救世観音像が「呪物」と言われる理由
この救世観音像は、高さ179cmで、聖徳太子をモデルとして作られたと言われている。
救世観音像は、約200年もの間、封印されていました。
この封印されている理由とされているのは、「聖徳太子の呪いが原因」という説があります。
この聖徳太子の怨霊によって、都では伝染病が流行り、
多くの人々が感染し亡くなったと言われています。
そこで、聖徳太子の怨霊を鎮めるために、救世観音像へ閉じ込めて、
東院伽藍の中心に立つ夢殿に安置(封印)されていました。
(引用:法隆寺HP)
この夢殿は、八角堂になっています。
通常、この形の建物は、供養塔または仏塔などとして建てられます。
そういったことから、救世観音は、供養を目的として祀られた像と言われ続けています。
▶︎観音像の構造も言われる理由の1つ
また、救世観音像の構造も、呪物であると言われてる説があります。
その理由として、通常の観音像は、光背が支え木に寄り付けられます。
(引用:法隆寺の百済観音像)
しかし、この救世観音像は、光背が後頭部に針で打ち付けられているのです。
(引用:法隆寺の救世観音像)
丑の刻参りでも利用される「釘を打つ」行為は、呪詛(呪い)の行為をされており、
仏様には御法度な行為とされています。
このことから、都の人々の聖徳太子の怨霊に対する恐れなどから、
この呪物と言われしまうものを生み出したと言われるようになりました。
▶︎大ベストセラーになった「隠された十字架」
呪いの観音像と言われる発端となった本になります。
「釘で止められている」とされ、呪詛の行為と言われていたことですが、
実際は金具だったとようです。
実際は、救世観音の後頭部にあるのは「太い釘」ではなく、単なる光背取り付け用の金具である。このように、仏像の後頭部に設けた金具や枘によって光背を固定している例は、法隆寺金堂四天王像、法隆寺献納宝物の四十八体仏(東京国立博物館蔵)などに例が見られ、「呪詛の行為」等の解釈は当たらない。(引用:Wikipedia)
実際、飛鳥白鳳の金銅仏では一般的な配置であり、後頭部に直接、光背を取り付けています。
法隆寺献納宝物・四十八体仏などの多数の金銅仏に、後頭部に突起があったり、
枘穴が空いています。
(引用:東京国立博物館・弥勒菩薩半跏像)
▶︎「隠された十字架」がもたらした影響
この「隠された十字架」がもたらした影響は大きいものでした。
実際、山岸凉子さんは本書にインスピレーションを得て『日出処の天子』を作成に至りました。
私は、この「日出処の天子」は読んでました😄
実家に漫画棚に置いてあります♪
■法隆寺の詳細
- 【聖徳宗総本山 法隆寺】
- ◇住所:〒636-0115 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1の1
◇電話:0745-75-2555
◇拝観時間: ※閉館時間が近づくと入れない施設があり。
午前8時~午後5時 2/22~11/3
午前8時~午後4時半 11/4~2/21
◇拝観料金:西院伽藍内、大宝蔵院、東院伽藍内共通
※拝観料お支払い後の返金は、できません。
個人料金(1名に付き):一般1,500円 / 小学生750円
◇法隆寺:HP
◇交通手段:
→JR法隆寺駅より 徒歩約20分バス「法隆寺参道」行き 法隆寺参道下車
→JR王寺駅(北口)より バス「国道横田・シャープ前・法隆寺前」行き 法隆寺前下車
→近鉄筒井駅より バス「JR王寺駅」行き 法隆寺前下車
■まとめ
いかがだったでしょうか?
この話は、都市伝説として深い話ですね。
実際、約200年もの間、人々は聖徳太子の呪いを恐れて封印されていたのも、
事実なのかもしれません。
そうでなければ、夢殿に納めていたことも、200年の封印も辻褄が合わないように感じます。
その当時の人々の思いなどは、少なからずありそうですね。
これだから、都市伝説は楽しいですね♪
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